ストレス感受性人間の、「人生」というマゾゲーのプレイ日記。
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8月27日。
・ファーストペンギンという立ち位置

 会議やゼミ、講義などで、最初に質問で口火を切るように、発言をファシリテートするポジションを、
「ファーストペンギン」
 と呼ぶらしい。
 正確には、「そこが大丈夫か」を偵察する役割の人。

 自分の研究室・同期との講義における立ち位置はそこだよなと感じて、
「研究室などの団体におけるあなたの立ち位置は?」
 という問いに答えられて、少しほっとしている。

 進捗報告の時には必要ないのだけれど、ゼミのときの質問は自分のあとに人が続く状態で、だから自分が口火を切らなくてはいけなくて、寝てしまうと、会話がない。
 そのときは、自分はあとで発表者の方にストロークを返しているのだけれど……。

「空気がきれいに読めないからこそ」
 というのかもしれないが、最初に発言するプレッシャーに打ち勝つのはできる。
 むしろ、いったん発言の機会を逃すと、なぜかぐんと上がるあるべき質問のハードルの状態がある。

 読むだけならば、利用するだけならば、作ったり、話したりしてコンテンツを提供するほうの苦労を忘れて、いくらでも「評論家さん」になれる原理と似ている気がする。
 「評論家さん」の存在だけは、つくらなくても感じ取れるのだろうな、と思う。

 自分はそういう事態に、自作講座のおかげでかなり慣れてきたため、
「何かを通して自分を表現することには、リスクヘッジが必要だ」
 と、意識覚醒レベルが高いときには、覚悟をして発言することが多くなった。

 ……最近、意識覚醒レベルが低くて勉強ができずに困っているのだが、人とかかわるというか、誰かと話しているときはあがるので何とかなる。

 母曰く、
「注意をされてもそこまで落ち込まないとラボの教授は思っている」
 というらしい。
 フィールドの教授は、デフォルトの討論が圧迫面接ぎりぎりの討論で、それでも自分がついてくると知っているから、出会えばお話してくれる。

 俯瞰すると、研究室では、自分は少し外れた質問をしても、
「そういう子だから仕方がない」
 というある意味得なポジションについているので、それを外部にいったときも、何とか勇気を出して「ファーストペンギン」という自分にあったポジションを獲得したい。

 質問といえば思い出したことがある。

 ブリードの意識の高い大先生(院生)は、自分が興味で、
「でも、それ、生物分子的なお話だけじゃないですよね? むしろ、健康上の……」
 といった、発表する大先生のフレームワークを壊すような質問したのを「意地悪な質問」ととったらしく。

 迎合するような質問でなかったのは認めるが、意地悪というか、「純粋に空気が読めなかった」という無自覚な荒らしだというのがよりしっくりくると思うし、大先生の空気というのは、
「M2先輩世代の悪口を、留年して飲み会に来てM1世代に自分の主観でぶちまけてM2世代のネガキャンペーンをしょっぱなから繰り出す」
 という毒々しい空気なので、読みたくない気もするが、とにかく目の敵にされていることはまもなくわかった。

 それは自分も、
「興味だけで質問をしてはいけないのだ、質問することはこの講義では、悪いことなのだ!」
 とまじめにやる気をなくして、それ以降の講義を寝ていたから、講義の空気を完全に壊されていちばん震えていいのは講義を主催していたブリードの先生だ。

 モルキュラーの先生も、ブリードの講義のことがあって、じゃんじゃかやる気を下げていった気がするので、
「何でこの子は急に変わったんだろう?」
 といいたくなった気がする。
 最初に、
「質問があるから、時間がかかる」
 と突っ込まれたときに、相当がりごりMPというかやる気は削れていくのだが。

 話を大先生に戻して。
 ほかの人の発表で自分が質問したら張り合っているのか、
「内容がないようというか、要約を質問として返して答えあわせでもしているのかい?」
 という質問をいつかしていたし、自分が発表したときには、
「それは、資料に書いてあることをそもそも論でちゃぶ台返ししたいだけだよなー」
 というのが透けて見える質問をしていた。

 ぐぐれかすといわずに、
「資料に書いてありますが」
 と答えると、
「私の勉強不足なんですけど」
 と「そりゃ最も」な返答をしていて、それでも悪びれることなく非難をぶん投げてきたから、面白くなかった。

 ある意味、
「きくことがまったくなければ質問しなくていい」
 というのを体現してくれていた。

 最近、この大先生はM1世代の集まりに来ず、
「面倒じゃないからいいや」
 と思っていて、ブリードの研究室にのんびりさんを訪ねたときに、大先生が出たらいやだなぁ、とおっかなびっくりに三回ドアをノックしたので、ふと存在を、
「ファーストペンギン」
 を知る前に思い出した。

・いつも具合が悪いのは何でだ?

 ひとつには、
「頓服に逃げて『大丈夫』を作ろうとする」
 ということ、つまり、
「しっかりとオーバードーズに浸っていたこと」
 が原因なんじゃないかと思った。
 「自分を変える教室」を現実逃避に読んで、そこを踏まえて、
「残念な選択をするのはどういうことか」
 を、自分をしっかりモニタリングしてみたら、
「よくわからないから、『えいや』ってしたい!」
「三分立ったら最初の指令を忘れちゃうよ! よくわからないけど、ニュートラルに戻っていいよね!」
「意識が続かない、なんか思考がブツ切れだ!」
 と、いうのが二時間程度で10~12回ほどあり、そういうことになった。

 実際、今、自分がすべきことがよくわからないので困っているけれども。
 しいて言うなら、TOEICと論文の院ゼミの準備かな、ぐらいで。

 ラボの教授が今いろんな意味で忙しいことを踏まえると、ラボの教授に相談するわけにも行かず。
 いや、むしろ、
「人生相談をするのはカウンセラーの方に、薬のことを話すのは医者の先生に」
 という問題だろう。

 報告したあと、また、ラボの教授にいくかどうか考えよう。

 頓服を飲むと、目の輝きが減る。
 少なくとも、暴走へいたらないための最低限の押さえは定時の薬でしているのだから、
「定時の薬の抑え」
 はこそっと、頓服にして、頓服は医者などにいけなかったとき用のレスキューにすればいいのではないかと感じた。

 加えて、机の上がいろいろ散らかっているのが原因かもしれない。
 一時間ほどかけて片付けて、やろうと思ったプリンタのあれこれに失敗して、面白い記事を見かけて、今日はよかったなぁとほっとした。

 このほっとした感覚を求めていたので、自分がやるべきことは、体をゆっくりと動かしたり、のんびりすべきなのかなと思う。

 ああ、もちろん、TOEICの対策は日記書いてから、シャドーイングからするよ!
 コミュニケーションの手段としての英語は好きだけど、英語の「試験問題」は大嫌いだ!

・研究室がなんかサバイバル

 そんな雰囲気がする。

 ただ、体調が落ちたり疲れたりすると、世の中をそんな風に感じてその幅が大きい体質で。
 案外、コーラの一本のカフェイン・シャワー一回で怖さが取れ。

 だから、
「弱っているときは、自分が大ダメージを受ける姿勢で世界と向き合っている」
 と考えたほうが解決策が見つかりそうだ。

 第三者から見ると、空気を読めないなら、そんなものを読まずして、挨拶やストロークを交わしたり、自分でリラックスすればいいと思う。

 自分でリラックスした結果が、
「TOEICの勉強がまったく捗らない! 捗らない!
 学科の同期やラボの教授に受けるって言ったのに捗らない!
 外堀を埋めるという行為はなんだったんだ! 論文はまだできるけれど、リスク学や心理学のノートばかり増えていくよ!」
 という事態なのだけれども。

 あと、なんかラボの教授と少し話しただけでだいぶ元気になったので、なついている人となかなか会話を交わせないから、「寂しい」と犬のようにへたれているのかもしれない。

 優先順位の問題だと思うし、ラボの教授は今、本当に大変っぽさそうなのでしょうがないから、もうひとつの問題である、
「日記用メモを送りたいのに、経済的なあれこれで送れない」
 という問題について考えよう。

 スキャンをして、スキャンしたものは自分のログ用にチューブファイルかバインダーを買えばいいのだけど、なぜだか、体調が悪いと、
「それが無駄遣いじゃないのか?」
 と思えてきて、お金がやたらないように感じるのは気分がうつ方向のときで、じゃあ無駄遣いするそうの時はいいのかというとそんなこともないのだが。

 バイオリズムもあるからなぁ、ぶれ幅の中でもがんばらないといけないと感じた。
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