ストレス感受性人間の、「人生」というマゾゲーのプレイ日記。
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1 前置き。メタ的思考の赤魔導士。(連続番外編)
 世の中、塞翁が馬みたいなもので、自分は「臨床心理学」と、「農学」と、「分子生物学」、「プログラミング」を、
「最低レベルはカバー」
 という低いところでバランスよく、習得する機会を得た。

 特に、臨床心理学の教わり方が決定的だった。
 自分は、カウンセラーの方から、
「まず最初に『マインドフルネス』を、次に『アサーション』を、その次に独学で『NLP』を学びながら、『マインドフルネス』や『アサーション』、『NLP』を状況に応じて使い分ける」
 ということを、カウンセリングを通じて教わったのだ。

 これは、すごい貴重な経験だ。
 臨床心理学クラスタの方は、
「マインドフルネスならマインドフルネス、アサーションならアサーション、NLPならNLPしか使わない」
 という感じであり、自分の専門外から出ないのだ。

 このいろんな臨床心理の教え方について、
「どうして、そんな風にバランスよく教えてくれたのですか?」
 と、つい最近にカウンセラーの方に聞いたら、
「一つだけでは、うまくいかなかったからですよ」
 とにこやかに返ってきた。

 自分の見解を混ぜて述べれば、
「セラピー系臨床心理は突き詰めると、全く同じことを言っていて、極めれば、いろんな状況でみんな『リラックス』を得られるのだが、それは、
『レベルを上げて、物理で殴ればいい』
 という『人生KOTY論』と変わらない」
 といったところだろうか。
 カウンセラーの方からは、今でも、臨床心理の素敵な本を教えてもらっており、元気のない時は一緒に対策を考えてもらったりしている。

 貴重な機会だ。
 カウンセリングが本来シャレにならない値段で行われるものだと知ってから、一層その思いは強まった。

 とにかく、
「いろんな方法には長所と短所があり、それらを使い分ければ、物事を一つの方法でスルメから味がしなくなるほどかみしめなくてもよい」

 もともと知識欲が高く、教養時代に、試験対策プリント作成を通し、得た知識を共有して、
「いいね! ありがとう!」
 といわれたことが病み付きになったのか、創作サイトのはずの「はねいた」は解説文サイトになった。

 一つ一つ、
「読者はどこまでわかっているか」
 と思いながら、情報をつけ足したり、簡単に省略したりした。
 たまに理解されず、あるいは至らぬ点を指摘され、大幅に傷ついた。

 tsudukiとして書くようになってからは、基本的に、
「ネットでググるような人は、自分で能動的に調べたいわけではなく、必要に駆られて『知識のバンドエイド』を求めているのだ」
 という考え方で、
「一発で読めば受け売りフレーズまで覚えられそうな、マークアップ言語初心者がリーダビリティの限界に挑戦したレイアウト」
 で勝負した。

 企画書を丁寧に書き、
「この知識を通して、こういうことを伝えたい」
 という「根本思想」も考えて、コンテンツごとに文体を変えたりした。

 ネットの最大の初心者IEに対応できなかったのが残念だが、自分でデフォルトをクロームや火狐さんといった軽いものに変化できない受け身系さんなら、
「プロにお金を払って、丁寧に教えてもらう」
 という方が幸せになれると思う。

 専門書でよくある、「お説教に近い精神論」は、やる気のある人が聞けばいいから、前略したりした。

 マインドフルネスは、その精神論こそが人を落ち着けるのだけれど、
「いったん、自分でやってみて落ち着いてからでないと、宗教のようにしか聞こえない」
 という弊害があったので、「スキルガイド」では全略した。

 だから、まず、ラボの教授やフィールドの教授や、そのほかの先生に発表をするように訊かれたら、
「どうして、そんなことをするのですか?」
「具体的にどんなものを作ればいいのですか?」
 と、山田ズーニーさんの言う、「創らない学生」のいうような言葉を言う。
 一回訊けばわかり、システムに合わせてがむしゃらに頑張るので、そこは違うと信じたい。

 Web雑文書きのノウハウを本名でも活かして、
「最大限に『講義』や『ゼミ』という企画に沿った、『発表』というコンテンツをお届けするため」
 であり、研究室の先生方はもう付き合いが長いので、だいたいわかってくれている。

 正確には、諦めて「変な学生」を引き受けてくれているようなのだが、基本的にこのスタンスは「はねいた」を見てもらってやっとわかることなので、リアルで分かってもらえなくても仕方ないともいえる。

 「タイロウ国」や「ゲゼベル」の文体と、「こころを守る心理学」、「ウディタシステム自作講座」などの文体を比較してもらうなんて恥ずかしくて研究室に行けなくなるし、NLPでは、
「『常識』は、通じないのが常識」
 というのだから、自分も、「変わり者認定」に対し、諦めてもいいのだと思う。
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