ストレス感受性人間の、「人生」というマゾゲーのプレイ日記。
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番外編、ユニークすぎる発想の、孤独だった猫は。 ~企画「土日で、プチゲーを作ろう。」ができるまで~
 もともと自分は、マイペースな人間だ。
 猫みたいに、ふらっと好きな時に現れて、弱ったら一人になって、ぶらぶらと、自分の赴くままに行く。

 そしてできた、「Skipping Board」は俺得コンテンツ満載のサイトになった。
 グーグル先生は優しいもので、そんなものでも、自分と嗜好があった人を案内してくれるもので。
 サイトに90%近くの人を、紹介してくれた。

「自分と似た人を、最大限に幸せにするコンテンツを作ろう」
 というその一念で再開し、続けたコンテンツや、その思いで作られていた古いコンテンツたちは、相互リンクをがんばったわけでも、検索サイトサーチ登録をがんばっわたわけでもないのに、思ったよりたくさんの人が見てくれて、想像以上のたくさんの人とのつながりをくれた。

 pixivの文章も、ツイッターのフォロワー数や、実際にふぁぼをしてくれた「趣味の合う人」を母数とした、「にやりとできる同志の割合」から行くと、とんでもない閲覧数だ。



 さて。
 すぐ上の水平線から次の水平線に囲まれた部分の文章は、とある方に感想として、お捧げした文章の焼き直しというか、同じ視線から、同じ題材を扱っている部分だ。
 構成上、どうしても必要なので、セルフアレンジしなおすが、その方には一応、引用・改変は構わないと申し出たうえでおいている。

 一年ぐらい前、
「ちょっと、脳の使い方の傾向を知ったほうがいいかもしれない」
 と、カウンセラーの方に提案されて、興味本位でIQテストを受けた。

 IQテストというのは、ネタバレ厳禁らしいのだが、自分は、記号を再現するテストと、カードからお話を作るというテストの得点が非常に低かった。
 そして、脳科学という観点から、専門家の人にこう言われた。

「人と比較して、事柄の間を補完する考え方が、独特である」
「言葉による論理性は高いが、図形の把握や手作業は苦手である」

 当時は、発達障害という観点から、「セウト」といわれたことにしか、興味はなかった。

 しかし今考えると、爆弾のような言葉だったのだ。
「遠回しに、KYかつ不器用」
 といわれ、
「お前は、行間を細かく埋める小説とイラストを仕上げる適性がない」
 と、小さいころから小説やイラストを作って遊んできた創作クラスタの人間が言われたことになる。

 メタ認識による言語概念の把握や応用は得意といわれたのだが、早野教授の話を見た漫画家さんのコメントではないが、それは他人との一般的な考え方と、さらに離れていく発想をすることだった。

 最近、山田ズーニーさんの「おとなの小論文教室。」を読んで、マズローさんの「人間性の心理学」のノートを読み返すことがあり。

 やっと「創造」は、小説と絵に限らないことに気づいて、
「行間を埋めることが楽しい、物語音楽風の詩や掌編」
「ピクトグラムや図表といった、情報を読み取るイラスト」
「目的やコンセプトをしっかり持った、解説の記事」
「行間を自分で埋めてもらえばいい、遊ぶ空間としての世界観」
「リンク集や、書評、レビュー集」
 といったものも、広い意味での「創造」に入るのだと、
「自分を表現することなのだ」
 と、安心して、ある意味、胸を張って言うことができるようになった。

「創作関係の作品を置く場所」
 として作った「Skipping Board」は、
「コミュ障やストレス感受性人間のための、QOL改善のための解説文」や、
「CもRもHTMLもプログラムだよね? という初心者向けの講座テキスト」で埋められていても、
「全く顧みられない日記が一番更新されている」としても、
「自分を、マイペースに表現する場所」
 としては、機能していたのだ。

 これを、専門家からは、
「メタ的な場所からの統一」
 と片づけられるのかもしれないが、すごくほっとした。

 また、苦手な部分に強く依存しないものや、得意である概念の理解と、個性である独特な考え方を活かしたものを創っていて、それがそれなりにうまくいっていて、
「きめ細かいCGは、他人の力を借りればいい」
「自分は、イメージを伝えるネタ絵や、概念が伝わるイメージイラストといった、コンセプトをがんばればいい」
「このまま、アイディア勝負で行けばいい」
「アウトプットに対して、きちんと、コンセプトが理解できる人がにやっとできれば、いいのだ!」
 ということに関して、自信を持って、受け入れられないかもしれないことに対して覚悟を持って、進めるようになった。

 また、考え方が独特である点に対して、
「自分の当たり前が、他の人の当たり前と違う」
 ということが、太鼓判で分かったので、
「それなら、自分の思ったことを、どうすれば相手にわかりやすく、ほっとできるように伝えられるか?」
 と、一歩先を考えた。

 マインドフルネスや、アサーション、そして、NLPといったセラピー系統の臨床心理学は、この問いに対して、次の7つの答えをくれた。

「自分がその考え方に至ったことに対して、どうしても譲れないことに関しては、長文になろうと、丁寧に事情や背景を説明する。
 解釈は、相手に委ねる。」
「怒りや不安・不快を感じたときは、アサーション権を根拠に、自分も相手も許していく」
「自分の言動一つ一つをモニタリングして、
『マイライフという物語に対して、自分は愉快な主人公として、銀さんみたいに、自由で、小粋な生き方ができているか?』
 と問いかけていき、責任と覚悟を持って暮らしていく」
「マインドフルネスの瞑想で、嫌なことも面白かったことも、みんな同じように、いったん、自分から放して見てみる。
 NLPで言う『ポジション・チェンジ』や『メタ・モデルの質問』を駆使して、特に、不快な感情は、相手の立場からも、フェアなものか確かめ、とにかく感謝できることは感謝していくようにする」
「DESC法で、相手に事情を話し、相手が考えるだろうことを前もって考えて、共感しながら自分の考えを述べ、相手が簡単にできる小さなアクションを頼み、それが難しいときの『せめて』のお願い事をする」
「朝、よほど体調が悪くなければ、9時といった研究室のルールに合わせ、他の人とあいさつができるように行くように努めて、
『おはようございます』
『お先に失礼します』
 といった挨拶を、研究室の先輩方や、研究員の方、そして、ラボの教授やフィールドの教授・フィールドの助教と、あるいは学科の同期たちと交わして、
『ストロークという名の心の栄養』
 を積極的にとっていく」



 「こころをまもる心理学」の内容を、10カ月経って、これらを少しだけ頑張ればできるようになったとき、ラボの教授から、
「tsudukiさんは、愛される体質だから、変わらなくていいんだよ」
 といわれた。

「違うのです、先生。先生方や先輩方に見捨てられずに、薫陶を受けて、カウンセラーの方といっしょに一生懸命、臨床心理学を学んで、サイトで自分なりに消化して表現して、それを評価していただいて、頑張り続けようと続けていった結果なのです。
 何より、
『地道に、懇々と話を聞き続けてくれ、他人に寄り添うということはどういうことかを無言実行で示し続けてくれたフィールドの教授』
『人情味あふれた、小粋でアサーティブな姿勢を示し続けてくれたラボの教授』
『どんな話もうんうんとうなずいてくれながら、自分のためにあの手この手を尽くしてくれたり、ほっとさせ続けてくれたり、プロの観点から、“こころを守る心理学”の技術や考え方を授けてくれたカウンセラーの方』
『あれほどこじれて、けんかして、復讐のようにやつあたっていたのに、一名を除いて仲直りし、“人生、やり直しは聞くのだ”ということを示してくれた、家族』
 といった、素敵な方々に恵まれたおかげなのです」
 と、言いたかった。

 学部の卒業式のスピーチでは、馬鹿にされると思いながら、そこをがんばって強調した。大部分の人にわかってもらえた。一人の方にぐさっとくる非難をいただいたが、親友と思っているしっかりさんからも、
「あのスピーチはよかった」
 褒めてもらった。
 また、そのときに、
「感謝の念と、『すごい!』と思ったことは率直に伝えていくことの実践」
 も、認めてもらって、あれだけ、うつで迷惑をかけていたのに、素敵な友人を持ったのだと、感動した。

 また、「トラブルメーカー」になっても、好意的に理解していただいて、居場所を作ってくれて、今、療養中だ。
「ドラゴン桜ではないけれど、一年で脳の細胞は変わるというが、人間は、一年間で、人間はかわれるのだな」
 と実感したし、誇らしく思っている。



 さて、話題は変わって。
 変わった自分で、もう一度、原点の「ウディタ」に戻ろうと思った。
「強くてニューゲームで、自分がほしくてたまらないウディタクラスタのコンテンツ」
 を作ろうと思った。

 最初に作った、
「ウディタに慣れ、疲れ果てた人が見てほっとできる記事」
 はあんまり、評判は良くないみたいだった。

 次の段階で、C言語エディターとしてのウディタを考えた。
 最初、
「ななみさんにアイディアを投げて作っていただいたコモンをセルフアレンジして、実例を示す」
 というささやかな記事を考えたのだが、それでは、
「自分のサイトの最大の顧客、初心者の方に、伝わらない」
 と違和感を持った。

 そして、企画書を書いては捨てを繰り返して、例のごとく、「講座」系のコンテンツになったので、
「初心者の方に絶対に損をさせない読み物」
 という軸ができた。

 この段階で、
「初心者に近い自分が、あとから見て、黒歴史にならない」
 という軸もできて、
「ウディタという、表現の場を作ってくれたツールに、恩返しをするにはどうしたらよいか」
 を考えて、
「自分の考え方は、ウディタクラスタに本当に貢献できるのか」
 ということを、ウディタクラスタを見渡せる方に「コンサルト」の意味で訊くべきだと思った。

 ウディタ界隈は、
「認知的欲求が強い」
「その割に、
『誰かの努力や、こだわりを認めていこう』
 という方向性レビューが少なく、寡聞で恐縮だが、現在進行形の企画は、Teaさんがやっているのしか見てない」
「アサーティブネスが足りず、上級者はノンアサーティブになった結果、潰れていったり、ウディタから離れて行ってしまう。
 あるいは、サブアカで、ノンアサーティブ・アクレッシブで、あたってもいい相手にはやつあたり、
『負のアンカリング、あるいはハロー効果』
 というものを、『公式』にあこがれる中級者に与えてしまい、幻滅させる」
 という現象が強い。
 ウディタ界隈に身を置いていて、というか、いまさらさることもできなかったため、そんなことを感じていた。

 自分はひねくれまくった中級者で、
「“こころを守る心理学”の製作者として、認めてくれる人も出はじめたが、ウディタに関して素直になれない」
 という状況で。

 そんな状況で、
「自分のサイトの最大の顧客、初心者の方に絶対に損をさせない読み物」
「ただでさえ独特な自分のアイディアは、ウディタクラスタに本当に貢献できるのか」
 という懸念は強まり、誰か、「俯瞰しつつ、地に足の着いた考え方」ができる人に「コンサルト」したかった。

 そして、
「『ウディタ支援素材集』や『ウディフェス』、『ウディコン審査員』などで、ウディタクラスタを支え続ける企画屋」
「自分の大好きなウディタゲー『蛍の宿花』の制作者」
 であるユノさんに勇気を出して、プロットと、それを考えた背景を織り交ぜた『企画書』を読んでいただけないかと頼んだ。

 読んでもらった結果、最初の一言は、
「人の作った企画書を読むと勉強になるな。
目的に対し手段がどういう風にねじれて、どういう風に軌道修正したらいいかがわかる。」
 という、うすうすわかっていたけれど、胸にグサッとくる一言だった。

 とりあえず、
「自分の場合は、ねじれているというより、「事柄と事柄をつなぐ流れを考えることが独特すぎる」と遠回しにKY宣告されました……。>IQテスト結果」
 と、だからこそ、ねじれていない感覚の意見がほしいという旨のことを送った。
 特に、ウディタに関して、
「公認講座・教材があまりにも自分とあわなかった」
 ということと、クレームが目に入る、かつ反論のしようがない場所ところで入ったことで、メタ認識がしづらくて、ねじれているのもあったが、自分はそのひねくれを何とかしたいのも、正直あったのも確かだ。

 それからのやりとりをダイジェストすると、次のような感じだ。

「(自分の考え方は普通と違い過ぎて、)一般的な読者は、HTMLからウディタに使えるノウハウを扱うことはできない」
「(おそらく、自分は強制的に触ったからともかく)ウディタの講座に来るような初心者層は、ウディタを触るためにほかの言語を触りたいという欲求はなく、ウディタで考え方を直で学びたいのではないか」
 といわれ、確かにと思った。

 そして、ユノさんは、自分の方の考え方を、企画書というラフプロットとリプライを読み込んでくれた上で、

「外部に目的のある素材の作り方というか、アウトプットであるゲームから逆算して素材を作るという考え方や、作品ページの作り方、アサーションに、“新規性”という需要がある」
「ウディタを触りながら、完成にむかわない素材作りを避ける考え方や、基本的な順次分岐反復の考え方を学ぶ講座のほうが読者にとって面白い」

 という方向性や、「ウディタクラスタに足りないニーズ」を示してくださり。

「濃厚なサンプルゲーム(三分ゲーム)を土日で作る」
 という企画ができた。

 自分は、「ほぼ日」のいろんなコンテンツを見ていて思っていたことや、「マズローさん」を読み直したり、「あらすじドットコム」さんを紹介したりとか、
「それはゲーム制作講座か」
 と苦笑しつつ、ユノさんから、
「音と音楽素材を含め、最近の同梱素材は簡単なゲームならすぐ作れるほど充実している」
 と教えていただいた。

 勇気を出して相談して、自分が納得できる、
「土日で、プチゲーを作ろう。」
 という企画がユノさんと作り出せてよかったし、ユノさんに、
「企画段階で気になる」
 といわれるほど、おそらく、「自作講座」、「こころを守る心理学」や、「ゲゼベルとそのコンセプト記事」をがんばってみて、よかったなと思った。

「メッセージを送ってくる度胸」
 なのか、上で挙げたいずれかが評価していただいたのかよくわからないが、「実績」や「スルーされないメディア力」はあったらしい。

 数日後、
「少なくとも、ユノさんには説明責任がある」
「バイオリズムでやや、そうに傾いたため、いろんな企画が思いつきすぎて優先順位がカオス!」
 ということになって、最初は自分用にリストにして印刷したのだが、それも納得がいかなかった。

「そもそも、サイトの作業をしているときは、ネットにつないでるものだから、ブラウザで目標リスト見られた方がよくないか?」
 と「なるべく上澄みを届けるようにする。」という現在進行中の企画について説明するページを作成した。

 いちいち、コンテンツサイトのタイトルに凝るのは、糸井さんの影響だ。

 表をつくり、試行錯誤した結果、納得いく結果になった後、TLに流し、ユノさんにリプライを、
「完成させるゲームを作る講座。」
 という感じの企画の先駆者かつ、具体例として作品を引用させていただきたいさくらばさんにお願いメールを送りながら、力尽きた。

 翌朝、相互フォローの方に、
「他の方にすり寄って……!」
 と思われて、
「そ、それには誤解がある!」
 と慌てて今日の夜書くはずだった記事の一部を先行執筆し始める。



 孤独だった猫は、恵まれた環境があったものの、努力の末に、温かい周囲を獲得した。
 また、自分をさらけ出し、人に物事を尋ねる勇気と覚悟を、尊敬するアウトプットをしている方からいただいた。

 そして今、人的に恵まれた環境だけで研究室を選んだため、やりたいテーマがなく、苦戦している。
 また、いろんな責任のある企画があって、思ったよりびっくりしている。

 人生、人を恨みまくった時期があっても、わくわくしながら、生きていけるようになる。
 それを示すために、
「だめだめな自分の黒歴史」
 である、学部4年生の日記を残しておこう。

 いつか、それが同じように、世界中を憎んで震えていた子猫に届くように。
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