ストレス感受性人間の、「人生」というマゾゲーのプレイ日記。
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番外編、中二系こころの病。
 最近増えた、NAG型の「こころの病」を抱いた人について。
 診断書を武器にしていると、
「人間の味方は減っていって、システムにしか頼れなくなる」
 というのを、間近で見て、本で読んだりして思ったので。

「中二系こころの病」
 について、意外に、「アウト」でこそないものの、「セウト」や「アーフ」の人が多い気がすします。
 グサッときたら、すぐさま、「静座瞑想」や「メタ認知の特訓」をするか、「忘却」することをおすすめします。

 また、この記事は、

困ってる人。」(by大野更紗氏)
全ての人間が「人気者」を目指さなければならない時代が来た」(by岩崎夏海氏)
『「いいね」時代の繋がり――Webで心は充たせるか?――』」(byシロクマ(熊代亨)氏)

 の御三方の記事に特に影響を受けております。

 それぞれを読み比べたうえで、「アサーション」(率直さ)から、この問題を考えたらどうすればいいのか、「こころを守る心理学」中のひとが考えました。

 造語を使っておりますが、それはなるべく、「やわらかく事実を受け入れるため」「ブラックユーモアでもいいので笑えそうにするため」です。
 ソリッドでシビアなる専門の用語は、シロクマ氏のサイトで参照してください。

 それでは、追記で本編をどうぞ。


 まず最初に、NAGって、なんだよという問題について。
 詳しく気になる方は、ノート抜粋の「人間関係の4つのスタイル」を参照してください。
 他人と接する姿勢には、非主張的(NA)、攻撃的(AG)、非主張的 - 攻撃的(NAG)、アサーティブ(率直的)(A)の四つがあるのです。

 これをざっくらばんに「うつ・不安障害・そう」にあてはめると、うつ→NA・NAG、不安障害→NA・NAG、そう→AG・NAGとなります。
 一般的なイメージだと、前者だけのような気がしますが、こころの病の患者の中には、NAGの人が結構多いのです。

 まじめな人が仕事でバーンアウトしてうつになった場合は、昔のイメージ通りNAやAだったりするのですが、「新型うつ病」というか、若者に多いらしい嫌なことがあったら日常生活が送れなくなるストレスアレルギーは、周囲からしたらNAGな態度です。

 なぜかというと、NAな方が限界までストレスを蓄えてうつや不安障害に陥った場合、「ストレスを与えてきた周囲」への憎しみや恨みから、AGのGを身につけるからです。憎しみや恨みを抱いたところで、大概、相手は謝罪することはないし、貴重な時間が過ぎていくだけなんですが。
 また、そうの場合は、そううつの人もいて、そうのときにアグレッシブに大きな声を上げていたり、自分が正しいと全身でアピールしていた人が、うつ状態へシフトすると、無言で行動で同じメッセージを伝えようとするので、NAGになりがちな気がします。

 また、超効率化された社会制度の影響で、アサーティブ(率直)な学生が減っている直観。周囲が強いストレスを与えていないつもりでも、ストレスをしのぐ訓練、せめて人間関係の中でもまれる練習を、現代の学生がやってきていたかというと、自信がないです。

 いったん、閑話休題で。
 大学に入ったときに注意してほしいのが、
「バイトを飼い殺しにしたり、使い捨てにする」
 という鬼畜なバイト先が実在することでしょうか。
 上司が、毎回、自己啓発系セミナーをミーティングの前にし始めたら、人格と仕事達成能力を混同しているので、速攻で逃げましょう。
 バイトでこころの病に陥ると、バイトで得た以上のお金を失うことになります。
 バイトなんだから、見聞を広くするために気軽にいろんなところへ行ってみるのがよく、上司がNAGあるいは、責任転嫁系AGであるところから切っていけばいいのだと思います。

 ここからまた、本題に戻りまして。
 NAGの姿勢であるこころの病にかかった学生は、「認知的欲求」が非常に強くなるのです。
 理由は、学生は親が、安全な部屋(下宿)、食費、学費を払ってくれていて、マズローの欲求のうち、生理的欲求と安全欲求が満たされているため、次の要求が大きくなるからだと思われます。

 「認知的欲求」は、原著だと正確には、「愛と所属の欲求」と、「承認の欲求」なのですが、これらがどうして、承認に特化した複合欲求になるのか、というと、これら三つのうち、「愛の欲求」と「所属の欲求」は得難いからで、得難いものを切望する勇者はそんなにいないわけで。

 「愛の欲求」とは、愛情あふれる暖かな関係性への欲求です。
 しかし、文化的な問題で日本には「NA・NAG言動無双」状態であり、学生が親から無条件に愛されて「愛の欲求」が満たされるというのは、よほど傾聴ができるアサーティブな親を持たないと、無理でしょう。

 ただ、文化への補足として、本場アメリカのアサーティブネスは、
「いつでもどこでも、レッツ逆転裁判! 異議ありぃいい!!」
 という刺激的な文化で得られたもので。
 過酷な環境で育つ野生種から、栽培種にストレス耐性を、という話がありますが、アサーションはそういうものなので、ないからダメってことでもないでしょう。
 日本の「和を尊ぶ」文化も、ロストしてしまうまでは貴重だったのです。

 それで、「所属の欲求」もだいたい「愛の欲求」と同じでしたが、これは、友達や同僚、部活に近い感じだと解釈してみます。
 学校では受験地獄、職場では、
「話してる暇があったら一秒でも仕事をしろ」
 という雰囲気では、同じカテゴリの人間として同じ場所にいても、つながりのある同志ではなく、孤立した点の集合になるのでしょう。
 連帯感と、所属感が獲得できないのです。

(……全然関係ないですが、マズローさんは「自己超越」というロゴセラピーの考え方を晩年発表しているようです。
 人生のより良い生き方というのは普遍的といいますか、深いところまで理解すればセラピー心理学はみな同じこと言っているので、一つの良書を極めればいいのです。)

 それはさておき。
 残りの「承認欲求」は、「目に見える形での自己に対する高い評価」、「他者からの承認・尊敬」、「自尊心」に対する欲求です。
 さてはて、これは低い方から並べてあり。
 低い方から満たそうとすると、目に見える形で、他者から認められる手段はなんでしょうね?

 ネットをしたり、テレビを見ている学生の視点から最初に目につくのは、「メディア」や、動画やゲームや小説や絵の「SNS」で、人気や名声を得ることでしょう。
 自分が何かしたら、応援のメッセージが検索すればザクザク出てくる。自分が何かを発表したら、再生数や目に見える形で高い評価をもって迎えられる。
 クリエイティブに見える行為をする、あるいは意識の高い行為をするのです。

 私個人は、それを普通の人がやっていても、よほどうまくやっていなければスルーしたい派なのですが、「こころの病」を持っている方がやると、余計厄介です。
 セウトの人もアーフの人も、同じぐらい面倒な事態です。

 本人には、自分を支える糧として、切実に「認知的欲求」がほしいので不可欠と思うのですが、周囲から見ると、
「好きなことばかりして、やるべきことをしない。こんなに、支えてあげているのに」
 となり、もっとはたから具体例を見ると、
「うわ……これはいい……黒歴史クオリティですね……」
 と中二病を併発している状態なのです。

 要するに、「こころの病」というより、
「中二病をこじらせて、日常生活が送れないほどになってしまった重症者」
 という感じに見えるのです。

 具体的な事例を取り出すと、フォロワーの方のトラウマに突き刺さりそうだったので、TLには流すのは自粛しました。
 が、これがこの記事のはじまりなので、ブログにはすべて書きましょう。

 具体的な「中二系こころの病」の典型行動

・ネットなどで、注目を浴びようと「釣り」「コピペ」「人気の小説の本文引用書評」「名著の渾身の一言」など、「他人の名言」や「マーケティング?」を利用したブログを立ち上げる。
・ニコニコ生放送を始めるが、機材をはじめとした放送環境など、準備が整っていない
・小説やイラストなど、要するに「●ixiv」のアカウントや創作サイトを立ち上げるが、最後まで丁寧に仕上げた作品や、完成品がない。
・歌い手になるが、有名曲ばかりで、それも歌いこんでいないのが聴き手にわかる
・歌や動画を作りたいのではなく、「ボカロP(UTAUP)になる!」とだけいう。
・要するに、「オピニオン・リーダー(意識高い系)」や、「クリエイター」になりたがって、それをTwitterやFacebookで喧伝する。
・ニコニコ動画のある分野にのめりこみ、ほかの分野を見てもないのに低く見る「狂信者」になる。
・乙女ゲー・美少女ゲー・方角シューティングなどにはまりこむ前に、ここなら二次創作で注目を集められそうだと思って参入する。原作はプレー動画を見るだけで、しない。
・ウディタやツクールをいじり始めて、「講座」という名の「プレイ日記」をつくりたがる。そして、それを公式に見せずにはいられない。

「お前もいるやないけ!」
 といいたくなる人がいるかもしれませんが、
「そうだよ! だからこの一年で必死に治したんだよ!」
 という返事をしておきます。


 個人的には、自分の頭を使って、ルールを守ってしてくれればまだ、笑顔で見守れます。
 しかし、ルールを破ってでも「数字の評価」が稼げればいいじゃないか、というのが、「中二系こころの病」のたちが悪いところで。

 結果として、自分の社会的評価を下げ、黒歴史を量産し続けます。
 本当の中学生が反抗期で親に素直に感謝を告げないのは少しかわいげがあるのですが、「こころの病」に真っ最中でかかっている方は、周囲のサポートがいるのに、感謝を忘れるのです。

 実体験なので、間違いないです。
 自分はマインドフルネスの瞑想を始めて、アサーションを習い、記事を書きながら、やっと親と和解し、感謝したのです。

 さて、感謝について。
 この場合忘れ去られるのは、SNSで自分を見てくれるお客さんが評価してくれること、そういった行為をする前提条件である親の支えへの感謝です。
 感謝をはじめ、ストロークを投げかけなければ、周囲がぎすぎすしていくのですが、そううまく投げれる学生は少ないのです。

 だから、「認知的欲求」を満たすために、中二病をこじらせるのは、あんまりおすすめできない方法です。

 それじゃあ、どうしましょう?
「中二系こころの病」にかかった人が、「認知的欲求」を得る建設的な方法を2つ、提案してみます。

 一つは、「自分からストロークを投げかけること」。
 もう一つは、「承認欲求」の説明の最後に挙げた「自尊心を高めること」です。

 これら二つが、建設的なのは、「自分で」できるからです。
 臨床心理では、「自分と未来しか変えられない」のは、鉄則です。

 だから、まず、「ストローク」を自分から投げかけてみてください。
 ストロークは、丁寧に相手に与えれば与えるほど、自分に返ってくるので、ほっとした「愛と所属の欲求」が解消され、肯定も感じられるはずです。
 「自尊心を高めること」は難しいので、優先するなら「ストロークの確実な遂行」です。
 詳しくは、「ストロークとディスカウント」でどうぞ。

 次に、まず、「自分自身をじっくり観察する」ということをしてください。
 最初は、「自分がどんなリズムで呼吸をしているか、呼吸に集中する」というところからでいいのです。
 そのうち、思いついたことを呼吸と手放し、自分の思考を淡々と眺めてください。

 このように、「自分をモニターの向こうから眺める」ことを「メタ認知」といいますが、セラピー臨床心理のNLPでも結構後ろの方で紹介されているほど難しいのです。
 しかし、まず、メタ認知ができないと、「メタ・ステート」こと、「自己認識」が変えられません。

 まずは、「静座瞑想」を10分、2週間続けてください。そのうち、合計50分ほど、「BasicTraining」の瞑想法の好きなのを50分行ってください。そして、たまに「アサーション権」の記事を読んでください。

 言葉で行ける方なら、「メタ認知の特訓」をやってみてください。
 自分のことを自分で突っ込むのは厳しいですが、効果は抜群です。
 こつは、「ユーモアやパロディをとりいれた表現をする」「肯定的な表現を使う」「バインダーでする」ことです。

 まずは騙されたと思って、二週間続けてみてください。
 なんか、愉快な気分になる瞬間が、ふわっと訪れるはずで。

 2か月続けて、それをさらに続けていけば、「一年たつ頃には」あなたは、「リアでも充実」の仲間入りになっているはずです。(完)
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